炭水化物は止められない。

呑み食い大好きな1型糖尿病オタク女の我慢できない日々

私が2つの病気を発症するまで、発症してから

こんばんわ、なべ乃です。

クリスマスイブイブ、いかがお過ごしですか?

 

せっかくの祝日前。今日は私、なべ乃の簡単な紹介をしてみます。最初のブログで、病気になった時のお話はしましたが、私のお話はしていなかったと思うので。誰も興味はないとは思いますが、ここらで自分ガタリさせてもらいます。

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下手ですが、自画像

 

♀26歳、なべ乃のこれまで

一型糖尿病を発症するまで

車がないと不便なレベルの田舎で生まれ育ちました。小さい頃は、引っ込み事案でマイペース。いつも友達の後ろをついて歩く女の子だったそうです。何をするのも人よりワンテンポ遅く、親をヤキモキさせました。中学校で本ばかり読んでいたせいか、視力が低下して、今では眼鏡なしだと手元も見えないくらです。高校まで地元の学校へ通い、大学進学とともに県外で一人暮らしを始めました。

親元を離れてから、性格は大きく変わったと思います。女子が全体の一割の理系学部へ進学して、高校時代は避けてきた男性とも日常的に話をするようになりました。いつの間にか自分から誰にでも話しかけるようになってました。地元よりさらに田舎の大学進学したため、ますますインドアには拍車がかかり、中学時代から興味があった二次元への関心が高まったのもこの頃。周りにオタク友達が多く、ゲームやアニメなんかを教えてもらいました。

大学卒業の段階で、就職先は転勤有りの仕事を希望しました。高校まで同じ人間関係の中、十何年も過ごしてきて息苦しさを感じていたからです。希望通り転勤有りの仕事に就くことができ、最初の辞令はまたもや田舎でした。職場の方は優しく、つらいこともたくさんありましたがやりがいも感じてました。数年働き、最初の転勤が決まった冬、糖尿病が判明しました。

 

適応障害を発症するまで

 糖尿病を発症したとき、私には結婚を考えはじめた遠距離の彼がいました。今回の転勤で距離が近づくため、結婚に向けて少しずつ予定を組んでいた矢先の発覚でした。彼には病院から帰ったその日に、電話で病気になったことを伝えました。私は病院の帰りから涙が止まらなくて、電話も涙声で聞き取りにくかったと思います。幸いなことに彼はすぐに「これから大変かもしれない、だけど一緒に頑張ろうと言ってくれました。本当にありがとう。

転勤後に治療開始することとなり、それからは激動の日々でした。まず仕事の引継ぎ、引っ越し、疲労による体調不良、入院予定の前倒し、初めての入院、糖尿病生活、転勤に伴う未知の仕事、、これらの変化が2ヵ月ほどの間に一気に起こりました。自ずと結婚は延期になりました。仕事はいわゆる激務で、残業が当たり前。定時退社をさせてもらっている私に、後ろ指を指してくる同僚もいました。想像はしていたものの心が追い付かず、毎日無理やり身体を動かしていました。

糖尿治療を始めて数ヵ月。私の頑張りが限界を迎えました。それまで吐き気があってもお腹がいたくても何とか出社していましたが、ある日涙が止まらなくなりました。様子を見かねた彼が嫌がる私を無理やり心療内科に連れて行ってくれ、適応障害と診断されました。現在も治療中です。

 

おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。

本当にこれまでいろいろとありましたが、何とか生きています。昔の私は、まさか自分が社会人になった後にこんなにも色々な経験すると思っていなかったので、驚きです。私、就職したときにはキャリアウーマンを目指していたんですよ? 今、彼のやさしさに甘えて仕事をしていない、なんて聞いたら怒られそうです。

来年度には彼の転勤に伴って、やっと籍を入れられそうです。何度も自分が不甲斐なくて悔しくて情けなくて生きているのが嫌になったりしたけれど、何もできなくていいって言ってくれる彼や話を聞いてくれる親のおかげでまだここにいます。

 

 

病気になって良かったなんてまだ思えないです。それでも病気のおかげでこのブログを書こうと思えたし、見てくれる皆さんがいます。本当に、今日もおこし下さりありがとうございます。私にとってあなたはかけがえのない読者さんです。生きてるとおちこむこともあるけれど、明日も読んでくれるあなたのために更新しますね。

 

何だか湿っぽくなりましたね。

明日は明るく書きたいなぁx